«ブログ»ある若葉高等学園生の記録

ある若葉高等学園生のブログです。 ぼくは共産主義者であり、先駆的プロレタリアになることを夢見ています。 本当は学生運動に参加したいのですが……

交響曲第1番

S先生がいなくなる、このことを知ったとき、ぼくはそのちょうど1年前のことを思い出した。

大好きだった———これは、当初はもちろん恋愛的な意味でもなく、そして以後ずっと(本質的には)そのままだった————M先生は、ぼくが心をようやっと開けた100万人に1人の先生だった。

ぼくは、飛び降りようと思った。そして、実際に飛び降りた。————M先生は、ぼくが心をようやっと開いた3ヶ月後に、学校を辞めてしまったのだ。

ぼくは、1年前のあの気持ちに、絶対にならないようにしていた。

それは、自分が自殺したあと、どんな気持ちになるのか、つまりぼくのとなりにいた人が、どういう泣き方をするのか、最も近い距離から見たからだ。

交響曲第1番

S先生のために、ぼくは交響曲を書いている。

タイトルは、『交響曲第1番「恩師へ誕生にささげる」』そうです!先生は産休に入られるのだ。

そして、これはぼくが作曲するクラシック第1番目であり、交響曲第1番である。

ぼくは、どんな作曲家になりたいか———この曲は、それをもっとも、検討させられる曲だった。(つまり構想の段階でかなり時間も労力も使っているし、なによりここまで来るのは辛かった。)

今、ぼくは、「純正かつ最も古典的な商業作曲家」というところに答えを見出している。

それは何か———「生活の一部として作曲をし、それを売る。つまり、時間の中の人間的な一部分として、良心と喜びのままに作曲をし、人びとに訴えかけられるものとして作って、売る。」こういう作曲家に、ぼくはなろう。

そのためには、今の人たちはあっという間にサビが来て、クラシックよりずっと刺激的なPOPS音楽を聴いているから、ぼくもそのようなクラシック音楽を作るべきである。

ぼくは、自分の作風に、社会主義リアリズムとうたごえ運動、ベートーヴェンのような要素を取り入れている。

これらは、どれも共通した心臓を持っているのだ。————人びとに、聴く人々に訴えかけることである。

だから、交響曲第1番は、一番初めにサビが来て、それをロンド文学のように繰り返し、変化させていって、メロディはぼくお得意の「ラミドミラ」に————なってゆくのだろうか。

今日出来た分

今日は、13年前に東日本大震災が起きた日だ。

ぼくは、まだ小学生だった。

この日に交響曲第1番の制作が始まったのは、なにかを意味している————のだろうか?

今晩の音楽

今日は、旧ソビエト連邦のヒットソングから2曲。

レオニード・ウチョーソフが歌った「オデッサ港」と、アリサ・モン歌唱「ポドロージュニク」です。

 

今日もお読みいただき、ありがとうございました。